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工藤 晃(くどう あきら、1927年3月〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』224頁。〕 - 2001年6月18日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(1期)。 ==経歴== 大分県出身〔 - 聞蔵IIビジュアルで閲覧〕。 1951年、慶應義塾大学附属医学専門部卒業〔。1961年3月、ウサギの脳代謝の研究(「家兎の脳の諸部分におけるGlutamine酸Glutamine及びγ-amino酪酸の濃度及びそれのPicrotoxinまたはMorphineによる変動」)で慶應義塾大学より医学博士を取得〔〔博士論文書誌データベース〕。同年、南米医療調査団の副団長としてブラジルの奥地に滞在し、医療活動や調査活動に従事した〔 - ヨミダス歴史館で閲覧〕。横浜市内で診療所を経営するかたわら、1973年の赤ちゃんあっせん事件を契機に「実子特例法の立法化を推進する会」を立ち上げ、その代表世話人として活動していた〔〔 - ヨミダス歴史館で閲覧〕。 1976年12月5日に実施された第34回衆議院議員総選挙で、当時の神奈川県第1区 (中選挙区)に、当時結成されたばかりの新自由クラブから初出馬した。結成当時の新自由クラブは、神奈川県選出の現職代議士が2人がおり(2区:田川誠一、5区:河野洋平)、神奈川県は強力な地盤であった。3区には県議経験のあった甘利正、4区には官僚出身の川合武の擁立がきまったが、1区の候補選びは難航し、最後に工藤の擁立が発表された〔 - 聞蔵IIビジュアルで閲覧〕。ロッキード事件を契機に自民党への批判が高まる中で、ブームを起こすことに成功した新自由クラブは、結党時の代議士5人から17人へと躍進し、工藤も10万票を超える得票で、1区でのトップ当選を果たした。 衆議院では、同じく初当選した同姓同名の工藤晃(東京7区:共産党)がいて、「国会史上、はじめての例」として話題となった〔 - 聞蔵IIビジュアルで閲覧〕。 衆議院議員を1期を務めた工藤は、その後の3回の総選挙に、いずれも神奈川1区から出馬したが、新自由クラブの公認を得た第35回(1979年)、第36回(1980年)の総選挙では得票数を初出馬時から半減させて落選し、無所属で立候補した第37回(1983年)の総選挙では7千票あまりで最下位と惨敗した。 2001年6月18日、横浜市磯子区の病院で死去した。74歳であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「工藤晃 (新自由クラブ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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